当寺は功徳山成就院荘嚴寺と号し、仙台駅北西部の新坂通りに面している。宗派は浄土宗、開山当時は名越派に属し、磐城国(福島県)成徳寺の末寺であり、慶長六年(一六〇一)存蓮社良把(寛永十七年永寂)の開基と伝えられる。

 明治三年宮城県に出された荘嚴寺進達書によれば、「寺地起立の儀」として、本材木町(今の春日神社の辺で、同社は鬼同家の氏神であったと伝えられる)に鬼同庄兵衛なる者あり、熱心な佛法の道心者で、藩祖政宗の為に特に町屋敷を求め佛堂を設けて国家安全を祈念して日夜怠らず。一寺建立の念願を立てて京都に上り三條通法林寺住職袋中和尚に請うて寺山号を申し受け、袋中和尚を以て開山とし、庄兵衛はその弟子となり、後に良把和尚と号し二代目開基と定められた。元和二年(一六一六)三月、北山の荒野を拝領して一寺を建立したのが現在の寺地で、六世良満の時代には義山公(忠宗)が度々茶席を当寺にて設け住僧にその相手をなさしめたところから知行二百石の沙汰があったが固辞して受けず、その後肯山公(綱村)は数度当寺に臨んで法問、茶庸等に住僧を相手とした為に知行五十石の沙汰があったが、これをも住僧は返上した。その他度々の拝領品があったが、十七世良源利頓和尚時代、寛延二年(一七四九)の火災の為、一切を烏有に帰してしまったと伝えられる。又、別書には、寛永十二年(一六三五)の開山と記しているものもあり、召出格、寺領三十六石余を附せられていたとも記している。当寺は度々火災に見舞われており、沿革の詳細を裏付ける物証が少なく不明な点も多い。

 現本堂は寛延の火災後に再興されたものを改修し現在に至っており堂内には称陀三尊像と法然上人、善導大師像、釈迦如来像などを安置している。本堂向かって左側の観音堂(仙台六番札所)には三十三体の観音菩薩像を祀り、本堂南側の弁天堂六角堂には弁財天の宝冠(翁面白蛇)を祀る。又、本堂北西の水子堂には水子地蔵尊も祀っている。

 史跡としては当寺の山門(旧原田甲斐邸門)が仙台市指定有形文化財となっている他、儒学者であり、仙台藩でも有数の絵師であった佐久間洞巌、晴獄の墓や、伊達藩剣道指南役松林蛎也斎、菓子司明石屋惣左衛門等、伊達藩関係の墓も多く残されている。

荘嚴寺山号扁額

本堂